2011年5月3日火曜日

朝里峠の思い出~北海道道1号定山渓レイクライン

朝里峠。
ここは、1980年代の中頃から90年台初頭まで、若者のバイクで溢れかえっていた。
レーシングマシンさながらのフルカウルと低いセパレートハンドル、高いバックステップに跳ね上げられたサイレンサー。
レースマシンよろしく空気抵抗を抑えるためと深いバンク角を確保するためのものだ。
とてもツーリング向きとは思えない、前のめりなスタイルを強いられる、こんなレーサーレプリカがもてはやされた時代があった。
87年型NSR250Rが新車で60万円、88年型が70万円、89年型が80万円、1年で10万づつ高くなっていくそんなバイクが若者に売れたんだから、まさにバブルの象徴と言えよう。
愛読書はバリバリマシン。
先輩が持ってくるOPTIONやCARBOYを見て、自分も将来働いて4輪買うぞとか夢を持っていた、儚いバブル。

そんな青春時代に、毎週通った朝里峠であるが、平成元年(1989年)にできた定山渓ダムやその後に出来た山頂付近の新ルートによって、すっかり廃道になってしまった。
しかし、現道から割といい状態で観察できるので、紹介する事にする。

廃道になった地点は2つ。
1つは麓付近の、定山渓ダムとそれによって出来たさっぽろ湖に水没した区間。
もう1つは山頂付近の、朝里峠トンネルと冬陽橋(とうようきょう)を中心とした新ルートによって廃道化した、山頂パーキングエリア付近とつづら折りの4連ヘアピン。

まずは定山渓側から上って定山渓ダムを過ぎ、4ツ峰トンネルを出て少し走ったところにある、旧道と現道の合流地点(A地点)から。
下の図は、国土地理院ウェブサイトのレイヤー機能を使って現道と旧道を重ねたもの。
朝里峠 旧道
出典:国土地理院ウェブサイト
下の写真はA地点から小樽側を見たところ。道路は頂上に向かって登っている。
朝里峠 旧道
A地点から小樽側を見る

 こちらは、A地点から札幌側(定山渓側)を見たところ。道路は定山渓ダムに向かって下っている。
写真左のガードレールは現道のものだ。この手前にゲートがあって車は入る事が出来ない。
朝里峠 旧道
A地点から札幌側を見る
少し札幌側に下って写したところ。
写真の奥がA地点だ。
朝里峠 旧道
右の奥がA地点
朝里峠 旧道
アップで
 反対の札幌側(定山渓ダム側)を見ると、奥に赤っぽい橋が見える。
旧道はここを少し下った所で右に90度カーブし、小樽内川を写真の赤い橋で渡り、再び左に90度カーブして札幌側へと下る。

朝里峠 旧道
小樽内川を渡る赤い橋
さらに少し下って橋の全景を見る。
橋の先は左に90度カーブし、進路を札幌側に向けているのがわかる。
朝里峠 旧道
橋を渡り、進路を変えて再び下り始める
橋を渡って札幌側に90度左にカーブした、その先は小樽内川に沿って道路が伸びる。
ここの先はすばらしい事になっている。
朝里峠 旧道

川の反対側に工事時の作業ヤードのようなスペースが見えてくると、旧道は徐々に泥に埋もれてゆき・・・
朝里峠 旧道
画面左半分から上が作業ヤードらしきスペース
小樽内川に沿って残されたガードレールの白い支柱が、かつてここが道路であった事を示しているこのシチュエーション。
すばらしい!!
朝里峠 旧道
ガードレールの支柱がかつてここが道路であった事を示している
朝里峠 旧道
少しアップで
この先、この旧道は小樽内川に沿って右にカーブし、やがてさっぽろ湖に沈んでゆく。
その姿はもう2度と目にする事は出来ないだろう。
学生時代、何年も走ったと思っていたが、89年には新道に切り替わっているから、ここを走ったのは1年位なんだと今更思った。

さて、もう1つの山頂付近に移動して、つづらのヘアピンを見てみよう。
札幌国際スキー場を過ぎて少し行くと下の画像にある旧道との分岐点に到着する。
朝里峠 旧道
旧道との分岐点は雪で侵入不可

下の画像は、国土地理院の空中写真に注釈を追加したものだ。
情報量が多くて見にくいかもしれないが、どっちが現道か旧道かは画面右下付近に注釈を記載している。
B地点とあるのが、上の写真の分岐点だ。 
朝里峠 旧道
出典:国土地理院ウェブサイト
上の写真にある1コーナーから4コーナーのつづら折り区間が、当時「走り屋」と呼ばれていたバイク乗り達が走っていた場所である。
つづら折りのヘアピンは4つあるが、実際には1コーナーの手前で折り返し、2~4コーナーを往復していた。

さて、新ルートの朝里峠トンネルを抜け、出口にあるスペースに駐車することができる。
そこから徒歩で冬陽橋手前のC地点まで歩くと、廃道化した4連ヘアピンを目視する事ができる。

朝里峠 旧道
見えているのは3コーナー

朝里峠 旧道
拡大
雪で分かりづらいが、4連ヘアピンの位置は下の図のようになっている。
朝里峠 旧道
ヘアピンの位置
こうして見ると、中々の落差だ。
みんな2コーナーと3コーナーの間の路肩にバイクを止めて休憩してたっけ。
今思えば、下り2コーナーの立ち上がりでコケたら、止めてるバイクなぎ倒しちゃうんだけど、そういう事故は見たことなかった。

冬陽橋を通って小樽側に下り、地点Dから撮影した。
画像中央左にある灰色のコンクリートの上に3コーナーがある。このコーナーは外側はガードレールじゃなくコンクリートウォールだった。絶対落ちないようになってたのだ。
朝里峠 旧道
3コーナーのコンクリート路体
この落差から落ちたら終わりだ

4コーナーから小樽側には長い直線が続く。
下の写真の切土した部分がその直線だ。
朝里峠 旧道
4コーナーから小樽側に伸びる直線
旧道はその後2つのヘアピンを経てD地点近くで合流するが、現道の切土処理による落差があるため、直接繋がってはいない。
下の写真は同じ場所から見た冬陽橋。
峠に通っていた当時も、この橋の橋脚は出来ていて、あんなところに道路作るのか?って思ってた。
朝里峠 旧道
赤い桁の冬陽橋

バイクショップで知り合ったGS乗りの人に朝里峠に連れて行ってもらったのが峠デビューのきっかけ。
ヘアピンで深くバンクした時、顔が路面にこすれるんじゃないかと思った衝撃的な感覚。
すっかりハマって、毎週通ったな。
翌年はGSの人はどっかいなくなっちゃって、結局一人で通ってた。今でいうボッチ参戦。
秋、今シーズンは今日が最後だろう、と思って走ってたら、ウォルターウルフのガンマの人に声をかけられた。
同じ大学の人で俺のバイクをいつも見てて気がついたらしい。うわー、初めて峠で友達出来た、と思った。今シーズン最後の最後の日に。
翌年の春、朝起きたらバイクが盗まれてて、俺の峠ライフはあっけなく終了。
結局3ヶ月後にまた無理してバイク買うんだけど、もう峠には行かなくなった。
やっぱ、怖いんだよね。最後の方はもう義務感みたいな感じで峠に通ってた。
行きたいんじゃなくて、行かなきゃって。じゃないと自分の価値観が無くなるみたいな。

3ヶ月間バイクが無い生活をして、だいぶ冷静になったと思う。
親は逆に安心してた。実家から高校生の頃乗ってたチャリ送ってきてくれてさ。
それ乗って豊平川の河川敷をのんびりサイクリングしてると気持ちいいんだ。なんか、峠で命削ってなんだかなー、って。
バイト代はあっという間にバイクのローンとガソリン代に消えていってさ。
もっと女の子と遊んで、ディスコ行って、ファミコン買って・・・・・
どっちが良かったかな。
強烈な青春時代として記憶に残ったことは確かだけども。

手稲山を走った記憶

「走り屋」という言葉を聞かなくなって久しい。今、この言葉を口に出すのは恥ずかしいような気がするが、これが死語というものだろうか。 僕は1990年代前半、手稲山を幾度となく走った記憶がある。週末の夜は支笏湖が定番だったけど、僕は割と好きだった、手稲山。 あれから30年経った。今、あ...