ラベル 廃道 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 廃道 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年9月11日日曜日

北海道道3号札幌夕張線の廃道

北海道道3号札幌夕張線は、夕張市手前の狭いトンネルと険しいカーブが続く道道であったが、2008年にこれらを解消するべく、広い夕張トンネルと線形がゆるやかな新ルートが開通した。
これにより、以前まで使われていた約3km弱の区間が廃道となった。

まずは、新旧分岐点の札幌側①の地点。


比較的まだきれいな状態で、新道からの確認も容易である。

次は②の地点。
ここは旧道と新道を結ぶために作られた仮設道路である。
ちなみにここから先は立ち入り禁止区域である。

写真は新道との接続地点から旧道(仮設道路)を撮影したもの。
札幌側から来た場合、写真左から手前に右にカーブすることになるが、本来の旧道は、(写真の左から右へ)まっすぐ抜けて、旧夕張トンネルへと突入していた。

旧夕張トンネルがあったところらへん(上画像の奥カーブ付近)。
真ん中あたりにコンクリートの壁っぽいもの見えるが、これは旧夕張トンネルから続く擁壁で、この先に旧夕張トンネルがあった。
本当はそこまで行って写真を撮りたかったが、立ち入り禁止のため止めておく。

今回、旧夕張トンネルの夕張側出口を確認してくるのを忘れてしまったので、次回なにかの機会にレポしたい。

おまけ。
新夕張トンネル。

2015年9月19日土曜日

旧千歳空港跡

 現在の新千歳空港は、1988年に開港したものであるが、それ以前は隣接する航空自衛隊と滑走路を共用していた旧「千歳空港」であり、ターミナルビルは今よりも札幌寄りに存在していた。
 旧千歳空港ターミナルビルへのアクセスは、現在のJR南千歳駅から空中回廊が伸びており、徒歩で移動できた。
 現在、旧千歳空港ターミナルビルは全て撤去され跡形もないが、航空機の駐機場、国道からの出入り口、空港駐車場、空中回廊の一部が現在も残っている。

 下の画像は、1985年当時の空中写真である。
 画面中央が国鉄千歳空港駅(現JR南千歳駅)、そこからターミナルビルまで伸びている空中回廊を確認できる。
出典:国土地理院
また、あまり鮮明ではないが、駐機場に待機する航空機、ターミナルビル、駐車場と、わかりずらいがターミナルビルから北(上)へ伸びる国道への出入り口が写っている。

 これらは現在でもターミナルビルを除き、ほとんどの遺構を確認できる。
 空中廊下への通路は、今も南千歳駅に残ったままであり、ほんの一部だが歩くことができる。
左上に突き出ているのが空中回廊の一部。
当時はこれが駐車場を横断し、空港ターミナルまで続いていた。

空中回廊の中から苫小牧側を撮影。
下に駐車場の跡地が見える

反対側(札幌側)。
今は国道36号を渡る横断歩道橋として使われている。

空中回廊から、国道の反対側へ降りる事ができるので、ここから跡地をいろいろ撮影してみた。
外に出ると歩道へ降りる階段があるのでそこから撮影。
駐車場の黄色いラインが今でも残る。


奥に広大な駐車場跡が見える。
この先に空港ターミナルがあった。


駐車場跡。


左が南千歳側、右にはターミナルがあり、
ここを空中回廊が横断していた。

少し札幌側に移動し、国道36からの車両進入口と出口を探す。
進入口と出口は各2車線ずつ、平行に敷設さてていた。
左は国道36号、写真奥が南千歳駅。
右に進入口が見えている。
]
進入口。

こちらは出口。
進入口より少し札幌側にある。

転回場所。
手前の道路は進入口、奥の道路が出口。

自分が車の免許をとってすぐの頃は、よく国道36号を右折してこの進入口に入り、千歳空港に遊びに行った。
 旅行カバンもった多くの旅行者が空中回廊を歩っているのを見ながら、国際的な雰囲気を楽しんだものだ。
 当時からここは人も車も多くて、この進入口に入ると、妙にワクワクした記憶がある。
 ちなみに、初めて飛行機に乗ったのも、この旧千歳空港ターミナルから。
 なので、ここはとても思い出深く、若い頃を思い出してしまう場所なのである。

2014年6月1日日曜日

滝野線の思い出~北海道道341号厚別滝野公園線 その2

通称滝野線の続き。その1はこちら→

滝野線旧道を確認できるもう1つの地点がこちら。
ちょっとわかりづらいが、下の画像の神社の鳥居マークのあるあたりのS字である(黄色が現道)。
出典:国土地理院ウェブサイト

下の写真は、有明小学校手前にあるS字コーナー跡で、走っているとほぼ直角に感じるほど滝野線で最もきついコーナーだった。
上の写真は、滝野公園側から札幌市街方面に向かって撮影したもの

現道の左側、今はブロックで覆われているあたりから旧道の橋は架けられていた(↑写真は札幌市街側)。

滝野公園側。白い新しいブロックが敷設され、旧橋の痕跡を確認することはできない。

札幌市街側から滝野公園方面を見た写真。
オーバースピードだと、奥に見える神社の鳥居にまっしぐらだ。

ここもなぜか新しくアスファルトを敷き直している。

このアスファルトが当時と同じ線形かどうか確かではないが、電信柱の位置がかつてここまで道路であったことを示している。

この時点では、この先有明小学校を過ぎたあたりで複線は終わり、従来の片側1車線へと戻る。その先のゆるいS字もそのうち新道に取って代わるだろう。

もう何十年も経っているのに、今でもはっきり思い出す。
ここにあった、あの路面、あのカーブ、あのギャップ。

全開で走り抜けたコーナー。
ヒリヒリするあの瞬間。
何が僕達をあれほど駆り立てたのか。

狂ったスピード。
一歩間違えれば死ぬかも知れない。
恐怖心がアドレナリンを分泌させる。
ゾクゾクするような、血液が沸騰するような、全てを忘れられる非日常的な。
それはやがて快楽にも似たような感覚になる。
これを覚えると、もう抜け出せない。
最高の快楽を求めて、また走り出す。

麻薬と同じ。

ただのジャンキー。

今はすすきので飲んでる方が楽しい。
すすきので飲む→お店で可愛い女の子と話す→脳内ドーパミン分泌→快楽→もう抜け出せない
あ、同じか。

滝野線の思い出~北海道道341号厚別滝野公園通

通称滝野線。
この言い方する人は、たぶん昔で言う”走り屋”か、それに近い人だと勝手に推測。
1990年代前半は、険しいカーブが続く峠道などの一般道をサーキットの如く猛スピードで走っていた”走り屋”の全盛期だったのではないだろうか。
頭文字Dの85乗り、樹君によると、カーブではなく”コーナー”である。
例「コーナーを攻める」

さて、80年代から90年代初頭、札幌近郊の走り屋のメッカと言えば支笏湖と言っていいと思う。
この滝野線は支笏湖へ続く道路で、当時は支笏湖へ向かう多くの走り屋達が走っていた。
その内、この滝野線”だけ”を走る、いわゆる秋名スピードスターズで言えば秋名山や真子ちゃんの碓氷峠のように、ここをホームグラウンドとする走り屋達が出てきた。
ちなみに、頭文字Dが連載開始されるずっと前の話である。

話が脱線してしまったが、2014年現在は片側2車線の新しい道路に改修されている。
かつて走り屋達が攻めたコーナーはほとんどが消滅し、線形の緩い安全なカーブになってしまったが、一部当時を思い出す旧道跡がまだ残っている。
市街から滝野公園に向かって真栄高校を過ぎ、里塚霊園へ続く急坂道の入り口にあった奥の深いコーナー跡。
滝野線ではめずらしいブラインドコーナーだったが、内側の山を削って新しい道路に代わっている。

なぜかアスファルトが新しく敷かれ、歩道も無くなっている。
当時の路面が残っていないのは残念だが、かつてここがあのブラインドコーナーであったのは間違いない。

少し進んだところ。
右の白い柵の内側が2車線化した現道。

滝野公園側のどん詰まり。

振り返ったところ。滝野公園側から札幌市街方面に向かって。

この擁壁はよく覚えている。

擁壁の縁(へり)。

下の画像は、1985年の航空写真と現道地図を重ね合わせたもの。
出典:国土地理院ウェブサイト
黄色い現道と旧道の違いが分かるだろうか。
旧道跡のほとんどは、アスファルトが剥がされ、痕跡を探すのが難しい状況であるが、もう1箇所、痕跡を確認できる場所があるので、「その2」にレポの内容を記載した。

北海道道341号厚別滝野公園通 その2へ







2014年4月26日土曜日

JR札幌駅付近の国道230号アンダーパス跡

JR札幌駅付近、1988年に高架化する前は、JR函館本線と国道230号石山通はアンダーパスによって交差していた。


下の写真は、ちょうど高架工事中の1985年に撮影された空中写真で、画面中央やや左にアンダーパスを確認できる。
出典:国土地理院ウェブサイト

さて、かつて存在していたこのアンダーパスは、現在どうなっているのか、見に行ってみた。
確か平成10年位までは、アンダーパスの天井部分だけを取り払っただけの状態で存在していたと記憶しているのだが・・・。
あれ?
手前が北で北大方面、奥が南方面、左がJR札幌駅方面である。
若干道路が沈んでなくもないが、ほぼ埋め立てられた様子である。

少し角度を変えて↑
奥左に見えるのがJRタワー。左が北、右が南、僅かに高架橋と電車が見切れて写っているのが分かるだろうか。
マンション下の石垣が、かつてここがアンダーパスであった遺構だろうか。若干道路が沈んでいるのを確認できる。

平成10年位まで、この辺で仕事をしていたので、懐かしく思い来てみたが、それとはっきり確認できる形跡は発見するのが難しい状況であった。

2011年5月3日火曜日

朝里峠の思い出~北海道道1号定山渓レイクライン

朝里峠。
ここは、1980年代の中頃から90年台初頭まで、若者のバイクで溢れかえっていた。
レーシングマシンさながらのフルカウルと低いセパレートハンドル、高いバックステップに跳ね上げられたサイレンサー。
レースマシンよろしく空気抵抗を抑えるためと深いバンク角を確保するためのものだ。
とてもツーリング向きとは思えない、前のめりなスタイルを強いられる、こんなレーサーレプリカがもてはやされた時代があった。
87年型NSR250Rが新車で60万円、88年型が70万円、89年型が80万円、1年で10万づつ高くなっていくそんなバイクが若者に売れたんだから、まさにバブルの象徴と言えよう。
愛読書はバリバリマシン。
先輩が持ってくるOPTIONやCARBOYを見て、自分も将来働いて4輪買うぞとか夢を持っていた、儚いバブル。

そんな青春時代に、毎週通った朝里峠であるが、平成元年(1989年)にできた定山渓ダムやその後に出来た山頂付近の新ルートによって、すっかり廃道になってしまった。
しかし、現道から割といい状態で観察できるので、紹介する事にする。

廃道になった地点は2つ。
1つは麓付近の、定山渓ダムとそれによって出来たさっぽろ湖に水没した区間。
もう1つは山頂付近の、朝里峠トンネルと冬陽橋(とうようきょう)を中心とした新ルートによって廃道化した、山頂パーキングエリア付近とつづら折りの4連ヘアピン。

まずは定山渓側から上って定山渓ダムを過ぎ、4ツ峰トンネルを出て少し走ったところにある、旧道と現道の合流地点(A地点)から。
下の図は、国土地理院ウェブサイトのレイヤー機能を使って現道と旧道を重ねたもの。
朝里峠 旧道
出典:国土地理院ウェブサイト
下の写真はA地点から小樽側を見たところ。道路は頂上に向かって登っている。
朝里峠 旧道
A地点から小樽側を見る

 こちらは、A地点から札幌側(定山渓側)を見たところ。道路は定山渓ダムに向かって下っている。
写真左のガードレールは現道のものだ。この手前にゲートがあって車は入る事が出来ない。
朝里峠 旧道
A地点から札幌側を見る
少し札幌側に下って写したところ。
写真の奥がA地点だ。
朝里峠 旧道
右の奥がA地点
朝里峠 旧道
アップで
 反対の札幌側(定山渓ダム側)を見ると、奥に赤っぽい橋が見える。
旧道はここを少し下った所で右に90度カーブし、小樽内川を写真の赤い橋で渡り、再び左に90度カーブして札幌側へと下る。

朝里峠 旧道
小樽内川を渡る赤い橋
さらに少し下って橋の全景を見る。
橋の先は左に90度カーブし、進路を札幌側に向けているのがわかる。
朝里峠 旧道
橋を渡り、進路を変えて再び下り始める
橋を渡って札幌側に90度左にカーブした、その先は小樽内川に沿って道路が伸びる。
ここの先はすばらしい事になっている。
朝里峠 旧道

川の反対側に工事時の作業ヤードのようなスペースが見えてくると、旧道は徐々に泥に埋もれてゆき・・・
朝里峠 旧道
画面左半分から上が作業ヤードらしきスペース
小樽内川に沿って残されたガードレールの白い支柱が、かつてここが道路であった事を示しているこのシチュエーション。
すばらしい!!
朝里峠 旧道
ガードレールの支柱がかつてここが道路であった事を示している
朝里峠 旧道
少しアップで
この先、この旧道は小樽内川に沿って右にカーブし、やがてさっぽろ湖に沈んでゆく。
その姿はもう2度と目にする事は出来ないだろう。
学生時代、何年も走ったと思っていたが、89年には新道に切り替わっているから、ここを走ったのは1年位なんだと今更思った。

さて、もう1つの山頂付近に移動して、つづらのヘアピンを見てみよう。
札幌国際スキー場を過ぎて少し行くと下の画像にある旧道との分岐点に到着する。
朝里峠 旧道
旧道との分岐点は雪で侵入不可

下の画像は、国土地理院の空中写真に注釈を追加したものだ。
情報量が多くて見にくいかもしれないが、どっちが現道か旧道かは画面右下付近に注釈を記載している。
B地点とあるのが、上の写真の分岐点だ。 
朝里峠 旧道
出典:国土地理院ウェブサイト
上の写真にある1コーナーから4コーナーのつづら折り区間が、当時「走り屋」と呼ばれていたバイク乗り達が走っていた場所である。
つづら折りのヘアピンは4つあるが、実際には1コーナーの手前で折り返し、2~4コーナーを往復していた。

さて、新ルートの朝里峠トンネルを抜け、出口にあるスペースに駐車することができる。
そこから徒歩で冬陽橋手前のC地点まで歩くと、廃道化した4連ヘアピンを目視する事ができる。

朝里峠 旧道
見えているのは3コーナー

朝里峠 旧道
拡大
雪で分かりづらいが、4連ヘアピンの位置は下の図のようになっている。
朝里峠 旧道
ヘアピンの位置
こうして見ると、中々の落差だ。
みんな2コーナーと3コーナーの間の路肩にバイクを止めて休憩してたっけ。
今思えば、下り2コーナーの立ち上がりでコケたら、止めてるバイクなぎ倒しちゃうんだけど、そういう事故は見たことなかった。

冬陽橋を通って小樽側に下り、地点Dから撮影した。
画像中央左にある灰色のコンクリートの上に3コーナーがある。このコーナーは外側はガードレールじゃなくコンクリートウォールだった。絶対落ちないようになってたのだ。
朝里峠 旧道
3コーナーのコンクリート路体
この落差から落ちたら終わりだ

4コーナーから小樽側には長い直線が続く。
下の写真の切土した部分がその直線だ。
朝里峠 旧道
4コーナーから小樽側に伸びる直線
旧道はその後2つのヘアピンを経てD地点近くで合流するが、現道の切土処理による落差があるため、直接繋がってはいない。
下の写真は同じ場所から見た冬陽橋。
峠に通っていた当時も、この橋の橋脚は出来ていて、あんなところに道路作るのか?って思ってた。
朝里峠 旧道
赤い桁の冬陽橋

バイクショップで知り合ったGS乗りの人に朝里峠に連れて行ってもらったのが峠デビューのきっかけ。
ヘアピンで深くバンクした時、顔が路面にこすれるんじゃないかと思った衝撃的な感覚。
すっかりハマって、毎週通ったな。
翌年はGSの人はどっかいなくなっちゃって、結局一人で通ってた。今でいうボッチ参戦。
秋、今シーズンは今日が最後だろう、と思って走ってたら、ウォルターウルフのガンマの人に声をかけられた。
同じ大学の人で俺のバイクをいつも見てて気がついたらしい。うわー、初めて峠で友達出来た、と思った。今シーズン最後の最後の日に。
翌年の春、朝起きたらバイクが盗まれてて、俺の峠ライフはあっけなく終了。
結局3ヶ月後にまた無理してバイク買うんだけど、もう峠には行かなくなった。
やっぱ、怖いんだよね。最後の方はもう義務感みたいな感じで峠に通ってた。
行きたいんじゃなくて、行かなきゃって。じゃないと自分の価値観が無くなるみたいな。

3ヶ月間バイクが無い生活をして、だいぶ冷静になったと思う。
親は逆に安心してた。実家から高校生の頃乗ってたチャリ送ってきてくれてさ。
それ乗って豊平川の河川敷をのんびりサイクリングしてると気持ちいいんだ。なんか、峠で命削ってなんだかなー、って。
バイト代はあっという間にバイクのローンとガソリン代に消えていってさ。
もっと女の子と遊んで、ディスコ行って、ファミコン買って・・・・・
どっちが良かったかな。
強烈な青春時代として記憶に残ったことは確かだけども。

手稲山を走った記憶

「走り屋」という言葉を聞かなくなって久しい。今、この言葉を口に出すのは恥ずかしいような気がするが、これが死語というものだろうか。 僕は1990年代前半、手稲山を幾度となく走った記憶がある。週末の夜は支笏湖が定番だったけど、僕は割と好きだった、手稲山。 あれから30年経った。今、あ...