この言い方する人は、たぶん昔で言う”走り屋”か、それに近い人だと勝手に推測。
1990年代前半は、険しいカーブが続く峠道などの一般道をサーキットの如く猛スピードで走っていた”走り屋”の全盛期だったのではないだろうか。
頭文字Dの85乗り、樹君によると、カーブではなく”コーナー”である。
例「コーナーを攻める」
さて、80年代から90年代初頭、札幌近郊の走り屋のメッカと言えば支笏湖と言っていいと思う。
この滝野線は支笏湖へ続く道路で、当時は支笏湖へ向かう多くの走り屋達が走っていた。
その内、この滝野線”だけ”を走る、いわゆる秋名スピードスターズで言えば秋名山や真子ちゃんの碓氷峠のように、ここをホームグラウンドとする走り屋達が出てきた。
ちなみに、頭文字Dが連載開始されるずっと前の話である。
話が脱線してしまったが、2014年現在は片側2車線の新しい道路に改修されている。
かつて走り屋達が攻めたコーナーはほとんどが消滅し、線形の緩い安全なカーブになってしまったが、一部当時を思い出す旧道跡がまだ残っている。
市街から滝野公園に向かって真栄高校を過ぎ、里塚霊園へ続く急坂道の入り口にあった奥の深いコーナー跡。
滝野線ではめずらしいブラインドコーナーだったが、内側の山を削って新しい道路に代わっている。
なぜかアスファルトが新しく敷かれ、歩道も無くなっている。
当時の路面が残っていないのは残念だが、かつてここがあのブラインドコーナーであったのは間違いない。
少し進んだところ。
右の白い柵の内側が2車線化した現道。
滝野公園側のどん詰まり。
振り返ったところ。滝野公園側から札幌市街方面に向かって。
この擁壁はよく覚えている。
擁壁の縁(へり)。
下の画像は、1985年の航空写真と現道地図を重ね合わせたもの。
出典:国土地理院ウェブサイト |
旧道跡のほとんどは、アスファルトが剥がされ、痕跡を探すのが難しい状況であるが、もう1箇所、痕跡を確認できる場所があるので、「その2」にレポの内容を記載した。
北海道道341号厚別滝野公園通 その2へ
0 件のコメント:
コメントを投稿