2017年5月6日土曜日

広島の看板

広島と言っても原爆ドームのある広島じゃない。
札幌の隣の、今は「北広島市」。
1996年の市政施行までは「広島町」だった。
名前の由来は、広島県からの移住者が町(当時は村)を作ったからにちなんでいるとの事。詳しくはWiki先生を参照。

で、1996年市政施行で「北広島市」になったのだけど、旧名の「広島」の名前が残っている看板を見つけた。

まずは、割りと有名なヤツ。

アップ。
上野幌駅の近くの旧国道274号に今も残っている「広島8km」の看板。

さて、もう1つ見つけちゃった。
それが、これ。
「11km広島市街→」。
誰も管理していないようで、雪の重みで大分傾いちゃってます。

場所は、三井アウトレット大曲向かいのインターヴィレッジ大曲カインズホームの交差点を恵庭方面に向かって右に曲がって、ダイナスティスキー場に向かい、恵庭につながる旧道へ向かって斜め左に分岐する交差点を進み、すぐの十字路を右へ。すると、上の写真の場所に。

こういうの発見すると高まりませんか?
え?
俺だけ?

2016年9月11日日曜日

北海道道3号札幌夕張線の廃道

北海道道3号札幌夕張線は、夕張市手前の狭いトンネルと険しいカーブが続く道道であったが、2008年にこれらを解消するべく、広い夕張トンネルと線形がゆるやかな新ルートが開通した。
これにより、以前まで使われていた約3km弱の区間が廃道となった。

まずは、新旧分岐点の札幌側①の地点。


比較的まだきれいな状態で、新道からの確認も容易である。

次は②の地点。
ここは旧道と新道を結ぶために作られた仮設道路である。
ちなみにここから先は立ち入り禁止区域である。

写真は新道との接続地点から旧道(仮設道路)を撮影したもの。
札幌側から来た場合、写真左から手前に右にカーブすることになるが、本来の旧道は、(写真の左から右へ)まっすぐ抜けて、旧夕張トンネルへと突入していた。

旧夕張トンネルがあったところらへん(上画像の奥カーブ付近)。
真ん中あたりにコンクリートの壁っぽいもの見えるが、これは旧夕張トンネルから続く擁壁で、この先に旧夕張トンネルがあった。
本当はそこまで行って写真を撮りたかったが、立ち入り禁止のため止めておく。

今回、旧夕張トンネルの夕張側出口を確認してくるのを忘れてしまったので、次回なにかの機会にレポしたい。

おまけ。
新夕張トンネル。

2016年6月11日土曜日

苫小牧ファンタジードーム(元)

苫小牧ドンキホーテに来た。
ここは元々苫小牧ファンタジードームっていう屋内型遊園地だった建物。
できた当初、チャラいサークルで女の子誘って皆で自慢の車出して遊びに行った記憶。
着いて中に入ったら、豪華できらびやかでファンタジー。わくわくしながら、なんとか好きな女の子と二人で乗り物乗ろうと頑張ってた。
あの頃は若かったなあ。

1997年閉鎖。その後、長崎屋を経て現在のドンキホーテになったと記憶している。



東側には、かつて屋外へと飛び出していたジェットコースターのコースがそのまま残されている。

かつて遊具があった場所。↓
今は3Fがスポーツ施設などに使われているが、当時は2Fから吹き抜けだったような気がする。
この壁伝いにジェットコースターのレールが設置されていて、ゴーッって物凄い音を出して走っていた。

ジェットコースターのレールが設置されていた柱がまだ残っていた!

近くで撮影。
この上にレールが乗っかっていたはず。

以上、残念だったのは、確か1Fが駐車場だったと思ったけど、今は店舗に改装されていた。
確か、長崎屋時代までは1F駐車場が残っていたと思う。
あの駐車場に車を入れた時のワクワク感を思い出したかったんだけど、残念。

後日訪問、苫小牧ファンタジードーム その2へ→

2015年9月19日土曜日

旧千歳空港跡

 現在の新千歳空港は、1988年に開港したものであるが、それ以前は隣接する航空自衛隊と滑走路を共用していた旧「千歳空港」であり、ターミナルビルは今よりも札幌寄りに存在していた。
 旧千歳空港ターミナルビルへのアクセスは、現在のJR南千歳駅から空中回廊が伸びており、徒歩で移動できた。
 現在、旧千歳空港ターミナルビルは全て撤去され跡形もないが、航空機の駐機場、国道からの出入り口、空港駐車場、空中回廊の一部が現在も残っている。

 下の画像は、1985年当時の空中写真である。
 画面中央が国鉄千歳空港駅(現JR南千歳駅)、そこからターミナルビルまで伸びている空中回廊を確認できる。
出典:国土地理院
また、あまり鮮明ではないが、駐機場に待機する航空機、ターミナルビル、駐車場と、わかりずらいがターミナルビルから北(上)へ伸びる国道への出入り口が写っている。

 これらは現在でもターミナルビルを除き、ほとんどの遺構を確認できる。
 空中廊下への通路は、今も南千歳駅に残ったままであり、ほんの一部だが歩くことができる。
左上に突き出ているのが空中回廊の一部。
当時はこれが駐車場を横断し、空港ターミナルまで続いていた。

空中回廊の中から苫小牧側を撮影。
下に駐車場の跡地が見える

反対側(札幌側)。
今は国道36号を渡る横断歩道橋として使われている。

空中回廊から、国道の反対側へ降りる事ができるので、ここから跡地をいろいろ撮影してみた。
外に出ると歩道へ降りる階段があるのでそこから撮影。
駐車場の黄色いラインが今でも残る。


奥に広大な駐車場跡が見える。
この先に空港ターミナルがあった。


駐車場跡。


左が南千歳側、右にはターミナルがあり、
ここを空中回廊が横断していた。

少し札幌側に移動し、国道36からの車両進入口と出口を探す。
進入口と出口は各2車線ずつ、平行に敷設さてていた。
左は国道36号、写真奥が南千歳駅。
右に進入口が見えている。
]
進入口。

こちらは出口。
進入口より少し札幌側にある。

転回場所。
手前の道路は進入口、奥の道路が出口。

自分が車の免許をとってすぐの頃は、よく国道36号を右折してこの進入口に入り、千歳空港に遊びに行った。
 旅行カバンもった多くの旅行者が空中回廊を歩っているのを見ながら、国際的な雰囲気を楽しんだものだ。
 当時からここは人も車も多くて、この進入口に入ると、妙にワクワクした記憶がある。
 ちなみに、初めて飛行機に乗ったのも、この旧千歳空港ターミナルから。
 なので、ここはとても思い出深く、若い頃を思い出してしまう場所なのである。

2015年8月29日土曜日

小鳥の村スキー場(跡)

小鳥の村スキー場をご存知だろうか。
かつて札幌市南区藤野にあった小さなファミリースキー場である。
今は経営していないが、当時の施設が廃墟同然で残っている。


リフトの支柱は、長年放置されていたため、全体が蔦に覆われている。
蔦に覆われたリフト支柱

真下で撮影

滑車がはっきり確認できる

またあの時のように、ファミリーゲレンデのスキーヤーを運ぶのを待っているのだろうか。
幾年たっても堂々とそびえるその姿

ロープは森の中へと続く

麓には、リフト乗り場とロッジが廃墟化して残っていた。
リフト乗り場

ここでリフトに乗る

ロッジは半壊状態

小鳥の村スキー場跡は、奥のゴルフ場へと続く道路が、スキー場を登るように整備されているので、車でのアクセスも容易である。
ぜひ気軽に訪問してほしいスポットである。

2014年6月1日日曜日

滝野線の思い出~北海道道341号厚別滝野公園線 その2

通称滝野線の続き。その1はこちら→

滝野線旧道を確認できるもう1つの地点がこちら。
ちょっとわかりづらいが、下の画像の神社の鳥居マークのあるあたりのS字である(黄色が現道)。
出典:国土地理院ウェブサイト

下の写真は、有明小学校手前にあるS字コーナー跡で、走っているとほぼ直角に感じるほど滝野線で最もきついコーナーだった。
上の写真は、滝野公園側から札幌市街方面に向かって撮影したもの

現道の左側、今はブロックで覆われているあたりから旧道の橋は架けられていた(↑写真は札幌市街側)。

滝野公園側。白い新しいブロックが敷設され、旧橋の痕跡を確認することはできない。

札幌市街側から滝野公園方面を見た写真。
オーバースピードだと、奥に見える神社の鳥居にまっしぐらだ。

ここもなぜか新しくアスファルトを敷き直している。

このアスファルトが当時と同じ線形かどうか確かではないが、電信柱の位置がかつてここまで道路であったことを示している。

この時点では、この先有明小学校を過ぎたあたりで複線は終わり、従来の片側1車線へと戻る。その先のゆるいS字もそのうち新道に取って代わるだろう。

もう何十年も経っているのに、今でもはっきり思い出す。
ここにあった、あの路面、あのカーブ、あのギャップ。

全開で走り抜けたコーナー。
ヒリヒリするあの瞬間。
何が僕達をあれほど駆り立てたのか。

狂ったスピード。
一歩間違えれば死ぬかも知れない。
恐怖心がアドレナリンを分泌させる。
ゾクゾクするような、血液が沸騰するような、全てを忘れられる非日常的な。
それはやがて快楽にも似たような感覚になる。
これを覚えると、もう抜け出せない。
最高の快楽を求めて、また走り出す。

麻薬と同じ。

ただのジャンキー。

今はすすきので飲んでる方が楽しい。
すすきので飲む→お店で可愛い女の子と話す→脳内ドーパミン分泌→快楽→もう抜け出せない
あ、同じか。

滝野線の思い出~北海道道341号厚別滝野公園通

通称滝野線。
この言い方する人は、たぶん昔で言う”走り屋”か、それに近い人だと勝手に推測。
1990年代前半は、険しいカーブが続く峠道などの一般道をサーキットの如く猛スピードで走っていた”走り屋”の全盛期だったのではないだろうか。
頭文字Dの85乗り、樹君によると、カーブではなく”コーナー”である。
例「コーナーを攻める」

さて、80年代から90年代初頭、札幌近郊の走り屋のメッカと言えば支笏湖と言っていいと思う。
この滝野線は支笏湖へ続く道路で、当時は支笏湖へ向かう多くの走り屋達が走っていた。
その内、この滝野線”だけ”を走る、いわゆる秋名スピードスターズで言えば秋名山や真子ちゃんの碓氷峠のように、ここをホームグラウンドとする走り屋達が出てきた。
ちなみに、頭文字Dが連載開始されるずっと前の話である。

話が脱線してしまったが、2014年現在は片側2車線の新しい道路に改修されている。
かつて走り屋達が攻めたコーナーはほとんどが消滅し、線形の緩い安全なカーブになってしまったが、一部当時を思い出す旧道跡がまだ残っている。
市街から滝野公園に向かって真栄高校を過ぎ、里塚霊園へ続く急坂道の入り口にあった奥の深いコーナー跡。
滝野線ではめずらしいブラインドコーナーだったが、内側の山を削って新しい道路に代わっている。

なぜかアスファルトが新しく敷かれ、歩道も無くなっている。
当時の路面が残っていないのは残念だが、かつてここがあのブラインドコーナーであったのは間違いない。

少し進んだところ。
右の白い柵の内側が2車線化した現道。

滝野公園側のどん詰まり。

振り返ったところ。滝野公園側から札幌市街方面に向かって。

この擁壁はよく覚えている。

擁壁の縁(へり)。

下の画像は、1985年の航空写真と現道地図を重ね合わせたもの。
出典:国土地理院ウェブサイト
黄色い現道と旧道の違いが分かるだろうか。
旧道跡のほとんどは、アスファルトが剥がされ、痕跡を探すのが難しい状況であるが、もう1箇所、痕跡を確認できる場所があるので、「その2」にレポの内容を記載した。

北海道道341号厚別滝野公園通 その2へ







手稲山を走った記憶

「走り屋」という言葉を聞かなくなって久しい。今、この言葉を口に出すのは恥ずかしいような気がするが、これが死語というものだろうか。 僕は1990年代前半、手稲山を幾度となく走った記憶がある。週末の夜は支笏湖が定番だったけど、僕は割と好きだった、手稲山。 あれから30年経った。今、あ...